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Strategy Paper #003

日本のコンテンツ産業を、もっと成長させよう。

海外売上を増やそう。
投資を増やそう。
海外展開を支援しよう。
官民で連携しよう。

最近のコンテンツ政策を見ていると、こうした言葉が並ぶ。

方向としては、よく分かる。

日本のアニメ、漫画、ゲーム、キャラクターは世界で高く評価されている。これを成長産業としてさらに伸ばしたい。政府がそう考えること自体は、不自然ではない。

ただ、私はここで一つ、かなり根本的な疑問を持っている。

その政策によって、日本のコンテンツがこれまで育ってきた生態系そのものを壊す可能性について、どこまで議論されているのだろうか。

「伸ばす」政策には、必ず副作用がある

政策というのは、人の行動を変える。

補助金を出せば、企業は補助金が出る方向へ動く。税制優遇をすれば、投資はそこへ向かう。政府が「海外展開」「大型IP」「グローバル市場」を成長分野として強く打ち出せば、企業も人材も資金も、当然そちらへ寄っていく。

これは政策が成功している証拠でもある。

だが、問題はその裏側だ。

資源が一方向へ流れれば、別の場所から資源は減る。

海外で売れそうな企画が優先される一方で、国内でしか受けないかもしれない作品はどうなるのか。大型IPが優先される一方で、無名の新人や小さなスタジオはどうなるのか。成功確率が高そうな作品が選ばれる一方で、訳の分からない挑戦はどうなるのか。

日本のコンテンツの面白さは、そもそも「合理的に設計された成長産業」の中から生まれてきたのだろうか。

私はむしろ逆だと思っている。

漫画家が勝手に漫画を描く。学生が同人誌を作る。小さなゲーム会社が妙なゲームを作る。売れるか分からない作品を編集者が世に出す。アニメーターや作家が、採算だけでは説明できないこだわりを持つ。

大量の失敗の中から、ときどき世界を変えるような作品が生まれる。

日本のコンテンツ産業の競争力は、この巨大で雑多な「創作の土壌」に支えられている。

だとすれば、国家が最初に考えるべきなのは、どうやってコンテンツ産業を伸ばすかではなく、どうすれば、この土壌を壊さずに済むかではないだろうか。

太陽光パネル政策と、少し似ている

これはコンテンツに限った話ではない。

例えば、再生可能エネルギーを増やすこと自体は重要な政策目標だ。しかし、再エネ導入を強く促すインセンティブを設計すれば、地権者は当然それに反応する。

使われていない山林を維持するにはコストがかかる。一方で、太陽光発電設備を設置すれば収益が生まれる。地権者個人の立場から見れば、極めて合理的な判断になる場合もある。

ところが社会全体で見れば、話は別だ。

森林には、景観だけでなく、保水、防災、生態系など多くの機能がある。それを一度壊した後で、「やはり森林の方が重要だった」と気付いても、簡単には戻らない。

本来ならば、太陽光発電を増やす政策だけでなく、山林を健全に維持すること自体が経済的に成立する仕組みを考える必要があったのかもしれない。

コンテンツにも似た問題がある。

政策が、海外売上、投資額、作品数、輸出額といった分かりやすいKPIだけを追えば、その数字は伸びるかもしれない。

しかし同時に、新人が挑戦できる余白。小さな会社が生きられる余白。国内だけで成立する文化。ニッチな作品。同人文化。クリエイターが自由に失敗できる環境。そうした目に見えにくいものが減っていく可能性がある。

そして、それらも森林と同じように、壊すのは早いが、育て直すには長い時間がかかる。

政策を作る側には、別のインセンティブがある

ここには、もう一つ気になる構造がある。

国家が、「2033年までに海外売上○兆円」という目標を立てたとする。

その後、日本コンテンツの世界人気が自然に高まり、市場が大きく伸びれば、「政策も一定の効果を上げた」と評価することができる。

一方で、政策が期待通りにいかなかった場合でも、市場環境が悪かった。民間側の実行が不足していた。さらなる支援が必要だ。という説明は可能だ。

つまり政策を設計する側には、成功時には成果を政策に帰属させやすく、失敗時には本人が直接経済的損失を負うわけではないという非対称性が存在する。

これは、役人や学者が悪意を持っているという話ではない。むしろ個人の善悪とは切り離して考えた方がいい。

人間は、与えられた制度とインセンティブの中で合理的に行動する。

だから必要なのは、「もっと優秀な人を有識者に選ぶこと」だけではない。

政策を作る側そのものに、反証と撤退の仕組みを組み込むことだ。

「政策をやる理由」だけでなく「やらない理由」を議論する

コンテンツ政策を進めること自体には、私は反対ではない。

政府にしかできない仕事はある。

海賊版対策。著作権制度。取引適正化。競争政策。税制。外交。ビザ。教育。統計整備。

こうした領域で政府が仕事をする意味は大きい。

だが、新たな補助金やファンドや海外展開支援を始めるなら、「どれだけ産業が伸びるか」だけでは不十分だ。

少なくとも、逆側からも問うべきだと思う。

この政策は、日本のコンテンツが自然に生まれてきた生態系を歪めないか。

大企業や既存IPに資金が集中しないか。海外市場向けの作品ばかり増えないか。小規模な創作者が不利にならないか。失敗できる余白が減らないか。クリエイターへの利益還元は本当に増えるのか。政策がなかった場合と比べ、本当に良い結果になるのか。

そして何より、10年後、20年後にも、日本から面白いものが勝手に生まれ続ける状態を残せるのか。

環境開発には、環境への影響を事前に検討する考え方がある。

コンテンツ政策にも、「コンテンツ生態系アセスメント」のような発想があっていい。

政策を始める前に、「何が良くなるか」と同じ熱量で、「何を壊す可能性があるか」を議論する。

国家戦略に関わる人こそ、長期を見てほしい

企業は、どうしても短期で判断する。

経営者は売上を作らなければならない。社員に給料を払い、株主に説明しなければならない。四半期や数年単位で成果を求められる。

だからこそ国家には、もっと長い時間軸を見る役割があるはずだ。

10年後。20年後。30年後。

そのとき日本から、まだ面白いものが生まれているか。

海外売上20兆円を達成していたとしても、新しいクリエイターが育たず、新しい会社が生まれず、既存の大型IPばかりが並んでいるなら、その政策は成功と言えるのだろうか。

逆に海外売上が目標に届かなかったとしても、若者が新しい作品を作り、小さな会社が次々に生まれ、世界中から才能が集まり、毎年何が出てくるか分からない状態が続いているなら、私はそちらの方がはるかに将来性があると思う。

国はエンタメに金を出すな、ではない

私が言いたいのは、「政府はコンテンツに関わるな」ということではない。ましてや、「産業政策を全部やめろ」という話でもない。

もっと単純だ。

金を出す前に、その金が日本のエンタメを生み続けてきた土壌を壊さないかを考えてほしい。

政策によって産業を強くする可能性だけでなく、政策によって産業を弱くする可能性も、同じ重さで評価してほしい。

クールコリアが成功したから、日本も国家主導を強化する。海外市場が伸びているから、もっと予算を投入する。そんな単純な話ではない。

日本には、日本なりの発展の仕方があった。

国家が設計したからではなく、無数の人間が勝手に作り、勝手に競争し、勝手に失敗し、ときどき、とんでもなく面白いものを生み出してきた。

その生態系は、政策で簡単に作れるものではない。

だからこそ、国家が最も慎重にならなければならない資産なのだと思う。

産業を成長させることより先に、産業が生まれ続ける土壌を守る。

日本のコンテンツ戦略を考えるなら、私はそこから始めたい。