Strategy Paper 補講 #006
― 『エンタメビジネスの不都合な事実』を読んで/005の結論と、現場の知がつながるとき ―
Strategy Paper #005を書き終えたあと、『エンタメビジネスの不都合な事実』を読んだ。少し驚いた。
自分たちは、国家戦略や産業政策というかなり上流の場所から、日本のエンターテインメントについて考えてきた。一方、この本が見ているのは、作品づくり、企業経営、制作現場といった、もっと現場に近い世界だ。
出発点はまったく違う。ところが読み進めていくと、同じような景色が何度も現れた。
別々の場所から、同じ景色が見えていた。
1.005でたどり着いた結論
005では、「輸出額を最大化する政策」から「創作の循環を最大化する戦略」へ、と整理した。海外市場20兆円そのものが悪いわけではない。問題は、それを最上位目標にしてしまうことである。
売上を最大化しようとすれば、既に売れている作品、大きな企業、海外展開しやすいジャンル、成功確率の高そうな案件、説明しやすいKPIへ資源が集まる。政策としては合理的に見える。
しかしエンターテインメントのヒットは、必ずしも合理的な場所から生まれるわけではない。まだ評価されていない才能、小さな会社、よく分からない作品、ニッチな趣味、無駄に見えるこだわり。そうした場所から突然大きなものが生まれる。
2.現場から見ても、同じ問題が起きている
制作や企業経営の現場でも、似た矛盾が起きる。企業が大きくなれば失敗できなくなる。会議が増え、承認者が増え、数字による説明が求められ、企画には再現性が求められる。
どれも経営として自然な行動だ。しかし積み重ねると、「誰にも説明できないけれど、なぜかものすごく面白いもの」が組織を通過できなくなる。
ヒットを生み出そうとして合理化するほど、ヒットが生まれる余白を失っていく。
3.企業でも国家でも、同じことが起きる
企業では「売れる作品をつくろう」とする。国家では「売れる産業をつくろう」とする。企業では会議、審査、承認、KPIによって企画を選別し、国家では政策、補助金、審査、KPIによって支援対象を選別する。
そこでは、説明できるもの、実績のあるもの、失敗しにくいもの、短期間で成果が見えるものが優先される。合理的である。しかしその結果、まだ価値の説明ができないものが、最初から存在しにくくなる。
4.「無駄」は、本当に無駄なのか
創作の世界には合理化できない部分がある。予定より時間をかける。必要以上に細部へこだわる。売上には直結しない表現を入れる。誰も気づかないところまでつくり込む。
傍から見れば無駄に見える。しかし、作品を受け取る側は、意外とそうしたところに心を動かされる。もちろん無駄なら何でも良いという話ではない。ただ、創作には事前には価値を証明できない領域が存在するという事実を忘れてはいけない。
5.分からないものを、消してはいけない
行政から見れば、何を生み出すのか分からない場所、売上につながるか分からない活動、小さすぎる会社、個人の創作、同人文化、趣味、まだ名前すら付いていない新しい表現は政策対象として扱いにくい。
しかし未来の巨大IPや新しい文化がどこから生まれるかは分からない。ならば国家の仕事は、それらを事前に評価し尽くすことではない。分からないものが存在できる余白そのものを残すことだ。
6.成長戦略より、生態系戦略
売上も利益も海外展開も必要だ。しかしエンターテインメントでは、短期成果を最大化する仕組みと、次の面白いものが生まれ続ける仕組みが必ずしも一致しない。
だから見るべき対象を、作品や企業だけから生態系全体へ広げる必要がある。新しい人が入ってこられるか。小さな挑戦ができるか。失敗してももう一度挑戦できるか。つくった人に価値が還っているか。ニッチなものが生き残れるか。まだ価値の説明ができないものに時間を与えられるか。
結び
ヒットは計画だけでは生まれない。創作には、合理化できない部分がある。そして未来に何が価値を持つかを、私たちは完全には知ることができない。
わからないものを、わからないまま生かしておく。
それがエンタメを生み続ける社会の、いちばん確かな戦略だ。
